別冊マーガレットと日常

別冊マーガレットの感想や日々おもうことを書いています

運転手の座を取り戻せ!!

他人からの評価を気にした時点で自由な生き方は遠のく
と言ったのは、古代ギリシア哲学者のエピクテトスだそう。 この言葉、腹落ちさせて完全吸収せにゃ、と思って久々にはてなブログに帰ってきたぜ。

というのも、最近はてなブログから2週間ぐらい離れてたのは、
まさに「人目を気にして」なんだよな。 他人の視線や評価が気になり自分らしく行動できない。なんかそんなモードだった。

「人目」なんて実体ない、自分の頭の中だけに存在する妄想やのになあ。

心というのは正直なものですな、なんだかダル重い、そわそわと不調。。

もっと自由に振る舞いたいんじゃあ〜〜〜〜!!という本能の雄叫びが、不調な状態を作り出していたのだろう_φ( ̄ー ̄ )

やっぱ書くのが好きだわ。書きたいことを、何も気にせず書き散らすということ。
算盤だけ弾くなら、優先順位の下がる行為。

でも、お金にならなくても、誰かに貢献しているでなくても、書き散らすだけで楽しいっていう感覚をないがしろにしては自分が可哀想では?

そんな大切な時間をムゲにする考え方ってどういうこと?

外の世界の「記号」(実体がなく時代や場により変わっていくもの)に頭をジャックされて、「楽しい」時間を排除するって、

それってどんな人生?

なんか、ミヒャエルエンデのモモの、灰色の男たちを思い出した。(仲の良い友達が最近再読している、と言っていた。灰色の男たち…我が身と被ってるように思えてヒヤリとした。)

どうせ意味がないのなら(私は人生には基本的に意味がない派、意味を求めると人類の歴史の中で「悲惨」な人生を終えた人が多すぎん?と思う)
なるべく楽しい時間増やしたい。

自己投資も「楽しさを増やす」ため。

何らかの不純物(苦しさや悩み)が混在する人生の中で、それでも楽しいことやハッピーな時間を増やしていこうってのが基本スタンスだとすると、損得なしに楽しめるこのブログタイム、プライスレス、やでな。

で、この「どうしても人目を気にしてしまう」という私の癖。

ひとくちに「人目を気にする」と言っても様々なケースがあると思うけど、私の場合は「煙たがられたくない、ウザがられたくない、不快にさせたくない」という類。

まぁそういう思考癖は根深いのかもしれんが、気づいて手放したい。

あらゆる選択(ご飯何たべるかみたいな小さいことから、職業選択まで)に大きく関わるよなあ。

仕事辞めたい、けどここで辞めたらダメ人間や。。

って自分をじわじわ追い詰めていることにも昨日今日気づいたわ〜。

ブログ書きたいのに書かないのも、仕事辞めたい気持ちを排除しようとするのも、

どっちも「他者評価」を気にしすぎることに起因するんだよな。

これからは、ブログを書きたいときに書くことで、リハビリしていこかな!うむ!

気にしぃな自分からの脱却、そのためのリハビリじゃー。

ワイはワイの専属ドライバーなんじゃああああ!うおおおおお