別冊マーガレットと日常

別冊マーガレットの感想や日々おもうことを書いています

キャリア迷子なうな私の処方本@202305

来月末で、短いエンジニア人生にピリオド(カンマ?)を打ちます。

これからどうすっぺかな〜。

退職することに後悔はないが、これからどうするねん問題がありますな。

気持ちの整理はまた別記事にしよ。

今回は、キャリア迷子なうな私がこの5月に読んだ本の記録だす。

5月もあと1週間。ちょっと振り返りたくなった。

デザイン関連の本も読んだけど、それ以外の人生論とか文章論の本をピックアップした。(以下に書いた本以外もいろいろ読んだけど、なんか恥ずかしいwものもあったので、それらについては書いてません。以下に書いたのは読んだ本の一部です。)

後からこの記事を読み返したときに、「あ〜迷える時期もあったわねぇ、ほほほ」なんて言いたいものだす。

以下、本の感想というより、印象に残った箇所の引用メインです。

印象に残った箇所が多すぎて爆、これでもだいぶ絞ったのだが(優柔不断)とにかく引用だらけの記事に…。

引用が多すぎて、とてもタイピングの練習になった( ̄ー ̄ )

自分の中に毒を持て / 岡本太郎

www.amazon.co.jp

・媒体:紙の書籍
・進捗:読了
「下手で結構、どんどんやれ」というような鼓舞が随所に。力が湧いてきますな。

p11

今までの自分なんか、蹴トバシてやる。そのつもりで、ちょうどいい。

p24

自分のことが自分でわからないのに、勝手に自分はダメだと見切り、安全な道をとってしまう。

p33

会社をやめて別のことをしたいのなら、あとはどうなるか、なんてことを考えないで、とにかく会社を辞めるという自分の意志を貫くことだ。
結果がまずくいこうがいくまいがかまわない。むしろ、まずくいった方が面白いんだと考えて、自分の運命を賭けていけば、いのちがパッとひらくじゃないか。
何かを貫こうとしたら、体当たりする気持ちで、ぶつからなければ駄目だ。
体当たりする前から、きっとうまくいかないんじゃないかなんて、自分で決めて諦めてしまう。愚かなことだ。ほんとうに生きるということは、自分で自分を崖から突き落とし、自分自身と闘って、運命をきりひらいていくことなんだ。

p39

何か、これと思ったら、まず、他人の目を気にしないことだ。また、他人の目ばかりでなく、自分の目を気にしないで、萎縮せずありのままに生きていけばいい。これは、情熱を賭けられるものが見つからないときも大切だ。つまり、駄目なら駄目人間でいいと思って、駄目なりに自由に、制約を受けないで生きていく。

p40

何かすごい決定的なことをやらなきゃ、なんて思わないで、そんなに力まずに、チッポケなことでもいいから、心の動く方向にまっすぐ行くのだ。失敗してもいいから。

p56

計画性なんていうことにこだわらず平気で捨ててみて、つまらなかったらやめればいい。

p58

"いずれ”なんていうヤツに限って、現在の自分に責任を持っていないからだ。生きるというのは、瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて、現在に充実することだ。
(中略)
ベストをつくさなければならないのは、現在のこの瞬間にある。

p63

実力がない?けっこうだ。チャンスがなければ、それもけっこう。うまくいかないときは、素直に悲しむより方法がないじゃないか。
そもそも自分と他とを比べるから、自信などというものが問題になってくるのだ。わが人生、他と比較して自分をきめるなどというような卑しいことはやらない。ただ自分の信じていること、正しいと思うことに、わき目も降らず突き進むだけだ。

p68

自信はない、でもとにかくやってみようと決意する。その一瞬一瞬に賭けてひたすらやってみる。それだけでいいんだ。また、それしかないんだ。
意志を強くする方法なんてありはしない。そんな余計なことを考えるより、ほんとうに今やりたいことに、全身全霊をぶつけて集中することだ。

p75

他人にバカにされようが、けなされようが、笑われようが、自分がほんとうに生きている手ごたえを持つことが、プライドなんだ。

p81

スポーツも歌も会話もすべて、下手なら、むしろ下手こそいいじゃないか。そう思って平気でやればいい。もっともっと下手にやろうと決心すれば、かえって人生が面白くなるかもしれない。
(中略)
下手なら下手なりに、自分は下手なんだと決意すれば、もっと自由な歌い方もできるし、スポーツにしても、ナリフリかまわず自由に動くことができるだろう。下手ならなお結構

p82

自由に明るく、その人なりのユニークな下手さを押し出せば、逆に生きてくると思う。また、その方が人に魅力を感じさせる。

p85

行きづまったほうが面白い。だから、それを突破してやろうと挑むんだ。もし、行きづまらないでいたら、ちっとも面白くない。

p97

言葉はすべて自分以前にすでに作られたものだし、純粋で、ほんとうの感情はなかなかそれにぴったりあうはずがない。

p98

”なんだ、お前は。この世の中でマメツブほどのチッポケな存在だ。それがウヌボレたり、また自分を見くだして、いやになったりしている。バカなことだ”と突っぱなして、いまの状態をアリアリと見るんだ。
(中略)
自己嫌悪なんて、いい加減のところで自分を甘やかしていないで、もっと徹底的に自分と闘ってみよう。すると、もりもりっとファイトがおこってきて、己自身をのり越えてしまうし、自己嫌悪なんかふっとんでしまう。

p118

まともにこの社会というものを見すえ、自分がその中でどういう生き方をすべきか、どういう役割を果たすのか、決めなければならない。
(中略)
自分はあんまり頭もよくないし、才能のない普通の人間だから何もできないんじゃないか、なんて考えてるのはごまかしだ。
そう言って自分がやらない口実にしているだけだ。
(中略)
才能のあるなしにかかわらず、自分として純粋に生きることが、人間のほんとうの生き方だ。

p212

素っ裸で、豊かに、無条件に生きること。
失った人間の原点をとりもどし、強烈に、ふくらんで生きている人間が芸術家なのだ。

p214

ぼくが芸術というのは生きることそのものである。人間として最も強烈に生きる者、無条件に生命をつき出し爆発する、その生き方こそが芸術なのだということを強調したい。

p216

全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。それが「爆発」だ。人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。いのちのほんとうの在り方だ。

p218

自分を認めさせようとか、この社会のなかで自分がどういう役割を果たせるんだろうとか、色々状況を考えたり、成果を計算したり、そういうことで自分を貫こうとしても、無意味な袋小路に入ってしまう。
今、この瞬間。まったく無目的で、無償で、生命力と情熱のありったけ、全存在で爆発する。それがすべてだ。

p228

あらゆるものがシステム化された社会の中で、もしほんとうに無目的に生きられれば、それは素晴らしいことだ。

p233

生活の中で、自分が情熱をそこにつぎ込んで、ものを作る。楽しみ、解放感、そして何か冒険、つまり、うまくいかないのではないか、失敗するかもしれない、等々いささかの不安をのり越えながら作る。そこに生きている夢、生活感のドラマがこめられている。
(中略)
下手の方がよいのだ。笑い出すほど不器用であれば、それはかえって楽しいのではないか。平気でどんどん作って、生活を豊かにひらいていく。そうすべきなのである。意外にも美しく、嬉しいものができる。

p238

何でもいい、見物人ではなく、とにかく自分でやってみよう。動いてみよう。

p244

ほんとうに生きがいをもって、瞬間瞬間に自分をひらいて生きているかどうか。
システムのベルトコンベアーに乗せられ、己を失って、ただ惰性的に生活をつづけているというのなら、本質的に生きているとは言えない。

p246

今日ほとんどの人が、その純粋な生と死の問題を回避してしまっている。だから虚脱状態になっているのだ。
(中略)
死ぬのもよし、生きるもよし。ただし、その瞬間にベストをつくすことだ。現在に、強烈にひらくべきだ。未練がましくある必要はないのだ。

愛するということ/エーリッヒ・フロム 鈴木晶(訳)

67年も前に書かれた本とは、マジで思えない。「え、令和の話をしていますか?」ってなる。耳が痛い話も多い…
愛の基本的な要素とは、「配慮」「責任」「尊重」「知」とな。。意味を咀嚼中であります。

・媒体:紙の書籍
・進捗:読了
この本は紙で買ってよかったなー。(手触りと見た目が好み)

https://onl.bz/CtdHy27

p42

生産的な性格の人にとっては、与えることはまったくちがった意味をもつ。彼らにとって、与えることは、自分のもてる力のもっとも高度な表現である。与えるというまさにその行為を通じて、私は自分のもてる力と豊かさを実感する。この生命力と能力の高まりに、私は喜びをおぼえる。私は自分が生命力であふれ、惜しみなく消費し、いきいきとしているのを実感し、それゆえに喜びをおぼえる。
(中略)
与えるという行為が自分の生命力の表現だからである。

p44

人は他人に、物質ではなく何を与えるのか。それは自分自身、自分のいちばん大切なもの、自分の生命だ。
(中略)
自分のなかに息づいているものを与えるということである。自分の喜び、興味、理解、知識、ユーモア、悲しみなど、自分のなかに息づいているものすべてを与えるのだ。
このように人は自分の生命を与えることで他人を豊かにし、自身を活気づけることで他人を活気づける。もらうために与えるのではない。与えること自体がこのうえない喜びなのだ。

p48

愛の本質は、何かのために「働く」こと、「何かを育てる」ことにある。愛と労働は分かちがたいものである。

p50

自分が自立していなければ、人を尊重することはできない。

p51

相手の立場にたってその人を見ることができたときにはじめて、その人を知ることができる。

p76

愛とは、特定の人間に対する態度ではない。愛のひとつの「対象」にたいしてではなく、世界全体にたいして人がどうかかわるかを決定する態度であり、性格の方向性のことである。

p132

誰もができるだけ他の人びとと密着していようと努めるが、それにもかかわらず誰もが孤独で、孤独を克服できないときにかならずやってくる不安定感・不安感・罪悪感におびえている。

p151

現代人は過去か未来を生き、現在を生きていない。

p165

愛するという技術に熟達したいと思ったら、まず、生活のあらゆる場面において、規律、集中、忍耐の修練を積まなければならない。

p167

ひとりでいられる能力こそ、愛する能力の前提条件なのだ。

p168

何をするときにも精神を集中させるよう心がけなければいけない。音楽を聴くときも、本を読むときも、人とおしゃべりするときも、景色をながめるときも。そのとき自分がやっていることだけが重要なのであり、それに全身で没頭しなければいけない。精神を集中してさえいれば、何をしているかは重要ではない。

p170

他人との関係において精神を集中させるということは、何よりもまず、相手の話を聞くということである。
(中略)
どんな活動でも集中してやれば、人はますます覚醒し、その後には、自然で心地よい疲れがやってくる。
(中略)
集中するとは、いまここで、全身で、現在を生きることだ。何かをやっているあいだは、次にやることは考えない。

p171

やみくもに事を急ごうとすると、集中力も、また愛する能力も、絶対に身につかない。

p173

重要なのは、変化に気づくことと、手近にある、ありとあらゆる理屈を持ち出してその変化を安易に合理化しないことである。それに加えて、内なる声に耳を傾けることだ。なぜ私たちは不安なのか、憂鬱なのか、いらいらするのか、内なる声はその理由を、たいていすぐに教えてくれる。

p191

人間が能動的でなくてよいのは、眠っているあいだだけだ。
(中略)
思考においても感情においても能動的になり、一日じゅう目と耳を駆使すること
(中略)
人を愛するためには、精神を集中し、意識を覚醒させ、生命力を高めなくてはならない。そしてそのためには、生活の他の面でも生産的かつ能動的でなければならない。愛以外の面で生産的でなかったら、愛においても生産的にはなれない。

世界一やさしい「才能」の見つけ方 / 八木仁

世界一やさしい「才能」の見つけ方 一生ものの自信が手に入る自己理解メソッド | 八木 仁平 |本 | 通販 | Amazon

・媒体:電子書籍
・進捗:読了(書籍内のワークは未着手)

これはワークをやるかやらんかで天と地ほど、読書体験の濃淡に差が出ますな。今週末の用事がひと段落したら着手しよう。

で、ワークが終わったらまた感想をまとめよう。

20歳の自分に受けさせたい文章講義 / 古賀史健

www.amazon.co.jp

ここから下は「Amazon Audible」で「聴く読書」したものです。
引用が難しいため、印象に残った点やプチ感想を思い出してそれぞれ書いています。

・媒体:Amazon Audible
・進捗:読了(ながら聴き1周完了)

印象に残った内容など

・「書く」とは、頭の中の「ぐるぐる」を翻訳すること
・「何となく書く」ような意識では、読みやすい文章は生まれない
・「書く」力は、これからのIT時代も必要
・人から聞いたことを、また人に話すことで「再構築」「再認識」「再発見」がある。

思考の質を高める 構造を読み解く力 / 河村有希絵

https://onl.bz/sYNKgAT

・媒体:Amazon Audible
・進捗:読了(ながら聴き1周完了)

印象に残った内容など

・私(著者)の実績の根底には「文章を構造的に読み解く力」がある。通っていた小学校の国語の授業で、その力を育てるカリキュラムがあったことが大きく影響している。その力を身につけることの重要性を広めたい。
・文章の構造を読み解く力は、生きる力である。

書くのがしんどい / 竹村俊助

https://onl.bz/a34mPfy

・媒体:Amazon Audible
・進捗:読了(ながら聴き1周完了)

印象に残った内容など

・自分の書いた文章なんて、「読まれない」のが当たり前。そんなこと気にせず、書いて書いて書きまくれ。

…え?これしか思い出せない、やばいな自分…「なんて有益な本なんだ!」とか思ったのに…
もう2回3回聴こう。

でも、上記内容のおかげで、「そうか、とりあえず下手でもいい、書きまくろう」と思えた!

センスは知識からはじまる / 水野学

センスは知識からはじまる | 水野 学 |本 | 通販 | Amazon

・媒体:Amazon Audible
・進捗:読了(ながら聴き1周完了)

印象に残った内容など

・センスは知識だ。「才能がないから…」なんて考えるのはもったいない

うわ、これもめっちゃ面白く聴いたのに、これだけしか思い出せん…再聴しよう…

振り返ってみて:やっぱ読書はえぇわあ

どの本も読んでよかったなぁ。

1冊目に書いた、岡本太郎氏の「自分の中に毒を持て」と、

2冊目に書いた、エーリッヒ・フロムの「愛するということ」は特に、めちゃめちゃよかった。

人生に迷える今のタイミングで読んだというのも大きい。

やっぱ読書はえぇわあ〜

どう読んだって、読書はえぇわあ〜

そう、読書体験は、個人がそれぞれに自由に楽しめばいいと思う。

読んだ内容を覚えていたい人はそのための努力をすればいいと思うし、アウトプットまでしたい人はすればいいし、

読んでいる時間そのものを楽しみたい人は、そうしたらいいと思う。

どんなふうに楽しんでも、やっぱ読書は頭と心を耕してくれる、ありがたいもの。ホモサピエンスに生まれてよかったです。ありがとう人類。

これからもマイペースに楽しみながら、たくさん読んでいこうと思いました。

で、ブログに書いたからには、妄想してニヤニヤしてしまいますな、

この記事を読んでくださった誰かが、上に書いた本を手に取って、また新たな化学反応が起こるのを…

むふふ

めっちゃ文字量の多い記事になりましたが、読んでくださった方、ありがとうございました〜〜〜!!!!

シリアセ、ピンチ!

しまった〜〜!!お尻周りの汗が目立つズッボーンを履いてしまった…! 家を出て駅に着いた頃、めっちゃ後悔した_| ̄|○

私は座っているとお尻周りの汗(以下「シリアセ」)をたくさんかいてしまう残念な体質なのですが、
淡い水色のズッボーン、痛恨のミス。シリアセめっちゃ目立つやつやん…
最近、急に夏みたいになったので汗は不可避ですから。長時間すわる用事がある日はシリアセ対策をして出かけねばなりません。

シリアセはですね、ワキアセと違って誤魔化すのが大変困難なのですね。
脇汗は、はんなり振る舞っておけば何とか誤魔化せるけれども、シリアセはもう、頭隠して尻隠さず状態ですよ。
その事態を迎えてしまったら、開き直るしかなくなるわけでございます。

暑い時分は、
①紺色系か黒色系のズッボーンにする
②カムフラージュのためのカーディガン等を常備(いざとなったら腰に巻く)
③鞄をショルダーバッグ(お尻がちょうど隠れるぐらいの)にする
のいずれかになるかと思います。

とはいえ①については、あまり気が進まない。せっかく開放的なシーズンになったのだから軽い色を身につけたい。
③は新たな経費が発生する。予算を組まないといけない。
手っ取り早いのは②だが、いまどきそんな装い(腰まきまき)をしている人を見かけないので、羞恥心に耐えられない。

うーん、となるとやっぱ①になってしまうのだろうか。。

いや、やはり。。
シリアセを速乾させるためのファン付きズッボーンを偉い人に開発してもらうしかないな。。
お尻側のポケットに薄型軽量ファンを内臓させるようなイメージ。

1分ぐらいで一気に乾かしてくれたら、スマホいじってるフリでもして誤魔化せる。

SDGsの観点からも、ナイスな商品だと思う。
みんなシリアセを気にしてエアコンの温度設定を低くしていると思うが、その必要もなくなるのです。
別シーンでいえば、
雨上がり油断して、自転車の濡れたサドルにまたがってしまった時も、
速乾ファンがあれば安心ですし。

SDGs 服 企業」でググったら、こんなページが。

ファッション業界でSDGs実現に取り組む企業・アパレルブランドをご紹介 - GREEN NOTE(グリーンノート)|SDGsがすぐわかるニュースメディア

天下のGUCCI様、薄型ファン付ズッボーンを開発してくれませんか…?

私も来たる日に向けて、購買力を高めておきますので…





あー今日も無駄な妄想がとまんねー爆

↑の水色ズッボーンは昨日の話なのですが、 今日は諦めて、対処法①でいきます、紺色系のズッボーンを履いて出かけようと思います。

生きていくうえで大事にしたいことが見つかったかもしれない

生きていくうえで大事にしたいことが見つかったかもしれない。 今後の仕事や働き方を考える基準にもなりそう。

ので、感情がホットなうちに備忘録をば。 脈絡ないかもだけど、脳内トレースしておく。昨日の話。

少し風が強いけど、歩いていて気持ちが良い、初夏の夕方。自宅から駅まで歩く道すがら、ひとり。

なんかとても形容し難いけど、「こういう感覚が【幸福】なのかな」というような感覚になっていることに気づいた。

穏やかで安心していて「凪」で、心地よく満たされている。渇いていない。

あぁ毎日いつもこういう心持ちでいられたら私はそれ以上特に何もいらないかな、と思った。

それは高揚感ではなくて「そこはかとない安心感」というのが近い。何か偶像崇拝する感じでもない。

何かを手に入れた時や達成した時のような、ゲームに勝った時のようなアドレナリンが出ている状態とは違う。

お酒を飲んでほろ酔いで幸せ〜、とも違う。

ひとことで言語化するとしたら「あー自分はこれでいいんだな」という安心感だった。

仕事やめたいし、これまでグジャグジャな道を来てるかもだけど、そういうのって大した問題ではないな、と。理屈でなく自然と、自分のどこかが納得した感じだった。

そういう「ハイでなく平常心でいながら満たされた安心感」というのは、これまで32年間、あまり感じてこなかったかもしれない。

(「安心感」というのをしっかり感じないまま、それがデフォで数年前まで生きてきたかもしれない。(そういう人の方がもしかして多い?)

「何か自分には足りない」と漠然とした欠落感に駆り立てられてきたように思う。いつもそわそわと落ち着かないような感じできた。

ので、意識して、その安心感のようなものが得られるよう、何かを書きまくったり、本を読みまくったり、何か思いつくことを小学生の時からずっとやってみたりしてきた。

(この件は別途整理しようと思う)

いろんな人たちとの大事な出会いもあった。

それを経てきたうえでの↑の体験がある。

最近、その「安心感のようなもの」を感じられる割合が増えたな、よっしゃ。と感じていたけど、 昨日はなんだか、特にその度合いが高くて、とても良かった。

言葉にするって難しいなー。)

この心持ちでいられることが生きていく上で最重要かも。

それを基盤として、社会に関われること…友人やあらゆる人間関係、仕事、

貢献実感(「自分は自分を活かして、その役割を果たせている」という実感、そう思えている状態)
が得られたらもう最高だ。

そしたらもう、TAKEではなくGIVE GIVE GIVEに自然となるだろう。

「その心持ち」を最も大切にできる仕事は?

何をしてみたい?何なら自分を活かして人の役に立てる?

誰とどこで何をして働く?給料はいくら欲しいの?いくらあれば最低限の生活ができる?毎年毎月、どれぐらい収入を得る必要があるのか。そのプラスアルファでいくら貰えれば嬉しさが増すの?

丁寧に考えていこう。

私には「どうしても就きたい仕事」や「強烈に成し遂げないこと」とか「こういう姿を目指したい」というのが、今のところない。

強烈に愛している趣味や学問もない。(お利口さんとして生きてこようとしてきた期間が長いから、「強烈な【好き】」があっても無意識に気持ちにブレーキかけている可能性はある)

強烈な「好き」は今のところないけど、そういう日々の中で楽しかったりとか、何か学んだりとか、見える世界を広げられたりとか、

何かできることを増やしたりとか、誰かを楽しませたり喜ばせられてると思えたりとか、たまに達成感や成長実感が得られたりとか。

そういうことが味わえたら、それでめちゃめちゃ十分やな。(それだけでいい、みたいに書いたけど、こうやって書いてみるととても贅沢な気もしてきた。)

具体的な目標(まず今の仕事やめたら、どうする?というのがある)はまだないけど、でも「大事にしたいこと」はやっと見えてきた。

それを軸にして、行動を選んで、これからの仕事も考えていこうかなあ。

カラスと亀の仁義なき戦い

この記事はアニマルドキュメンタリー兼、仕事辞めるのを亀に後押しされた話です( ̄ー ̄ )

数日前のよく晴れた朝、自宅近所の川辺を散歩していた時のこと、
見慣れない光景が視界に入った。

川の堤防道路(下の画像を参照)で、カラスと亀がじりじりと対峙していたのだ。
無防備に散歩していた亀は、カラスにとって格好のターゲットだったのだろう。
今に仕留めたるぞ、とカラスが亀ににじり寄っているところだった。

こういうイメージです。写真は「イラストAC」(ZAWAICHI様)より
やじうま根性をくすぐられ、足を止めてその様子を見ることにした。

カラスは間合いを取りながら亀に顔を寄せて
甲羅の穴、手足と顔の穴にクチバシでジャブを入れる。
無闇にパンチを繰り出すのではなく、数秒おきに。間合いがまさにボクシング試合の序盤という感じ。
カラスは相手の戦闘力を測りながら確実に勝とうとしていた。

亀の方が圧倒的に不利に見えた。 じっと全身を甲羅に引っ込めているだけでは、カラスの長いクチバシによる攻撃は免れないし、 かといって逃げようと顔や手足を出した瞬間にカラスのクチバシが襲ってくる。

亀さん、逃げようがないのでは?とハラハラしながら
闘技場の観客よろしく、川の上方から成り行きを見ていたところ…

亀が、あっと驚く動きを見せてカラスに反撃した。

亀は何回めかのクチバシジャブを食らった瞬間、
勢いよく全身を回転させカラスに反撃したのだ!!(◎_◎;)
しかもジャンピング回転。固い甲羅で、飛び蹴りだ!

ガメラやん∑(゚Д゚)
飛距離はたぶん10cmにも満たないぐらいだったと思うけど
カラスを焦らせるには、十分効果的だったらしい。
(「こいつ意外とやるやんけ!」)

カラスは攻撃のペースを上げた。その度に「飛び蹴り」する亀。
でも、やっぱりカラスには敵わないんじゃ?
しかし!亀はカラスの猛勢に抵抗していただけではなかった。
ジャンピング回転する度に少しずつ、道路から川の方に近づいていたのだ。おおお…!!

そして何回目かの反撃ののち、ついに亀は川にダーイブ!!
試合のリングだった堤防道路と水面の高低差は1mぐらいか。
亀からするとバンジージャンプ級の高さじゃなかろうか、
ナイスダイビングをかまし、川に入水後も油断することなくスイスイと泳いで
逃げ去っていった。

しばらく亀の行方を目で追っていたカラスだったが、
もう俺の戦えるフィールドじゃねえよ、となったか
明後日の方角へバサバサと飛んでいった。

これにて亀の逆転勝利…!

いやー面白いものを見せてもらった〜(°▽°)

カラスと亀、彼らにしたらお互いの生(セイ)を賭けた切実な戦いだったのだろうけど、
こんな場面には遭遇したことがなかったので、かなり楽しんでしまった。(ごめん)

以上、関西郊外からアニマルドキュメンタリーをお送りいたしました。
微都会にも野生は息づいているなー、動物って興味深いなぁ、ということでした。

さてここからは、疑問とひとりごとです( ̄ー ̄ )

そう、上記の戦いを観戦後、ふと疑問に思ったのです。

あの亀はそもそも、なんであんな無防備に陸上を歩いてたんや…?

食料に困ってなくて、仲間もいるなら(亀たちはしょっちゅう身を寄せ合って甲羅ぼししている)
ずっと川の中にいたら良いんじゃないの?その方が安全なのだから。

カラスはしょっちゅう川の周り飛んでるし。カラスが敵やと分かってるやろうし。

どういう行動原理なん??ちょっと考えた。

…で、そういうことか、と。

きっと亀は、 「ここにありもしない未来の脅威」に怯える ということがないのだ。

「恐怖の可能性や不安で動けなくなってしまう」ということが、ないのだと思う。

だから、生来の「外に出たい、探検したい」という欲求のままに活動しているのだ。

一方で、私自身はどうだろう、と思った。

いつも、その「ここにありもしない未来の脅威」に怯えている気がする。

「不安な気持ち」は生存のための本能で、私を守ってくれている。

けど、心配事が事実であるのか?というと、事実でないこと、考えても仕方ないことの方が多い。

いちいち心配「しすぎている」のだと思う。

亀は、脅威と「戦い」はすれど、「この先の心配」はしない。

きっと亀は、「亀たるもの、こうでなければならない」なんて考えていない。当然のように、今という現実の中心にいる。

亀さんが偉いとか強いとかじゃなくて、生き物はもともと、そうやっていつも現実の中心にいるものなのだと思う。

昨今はマインドフルネスという言葉が広く浸透しているけれども、 野生の生き物は当然のようにそれを体現しているのだと認識して、
こういうことなんだなぁと腑に落ちたような感覚があった。

たしかに、幻想を見ることも、喜びや恐怖を妄想することも、悪いことではない。
生存や創造につながったりもする。

けど、不安が頭をもたげてしんどくなったら。否定も肯定もせずに、

それ、ほんま?

と自問するようにしたい。握りしめておく必要がないなら、手放す。

そして一歩、外に出るのだ!

お散歩する亀さんのことを思い出して。

その時の気持ちに素直になって、都度、行動を選択していけば良いのかな。

…うん。めっちゃ迷ってきたけどやっぱ、今の仕事、辞めよう( ̄ー ̄ )

ゴチャゴチャとたくさん書きましたが、亀さんに今後のヒントをもらったということでした。

ワイも我が人生、探検していくど〜

やはりボクシングが最強のソリューションだった

月イチ程度でボクシングジムに通っていますが、やっぱええのお!!!

ぐるぐる雑念マンの私ですが、へろへろになるまで動いて
びっくりするぐらい頭も心もスッキリした。

練習メニューは大体いつも

①アップ(ストレッチ&ランニング)
②シャドーボクシング3分×3セット
③サンドバッグ3分×3セット
④ミット打ち3分×3セット
⑤ダウン(ストレッチ&ランニング)

でトータル1時間程度にギュッとまとまってるのですが
普段運動しない人にとってはだいぶハード( ̄ー ̄ )

またたく間に体が悲鳴をあげるので、雑念などわいてくる余裕がないw

体が「ちょ、なんかヤバいぞ!」ってアドレナリン出まくるんかな…

ジムに来た瞬間スイッチが入るというよりは、徐々に集中モードになる。

私の場合、ランニングマシーンで走っている間はまだ雑念モードなのです。 走りながら考えごとをあれこれ。集中しなくても走れてしまうからな( ̄ー ̄ )

ランニングで体をあっためた後のシャドーボクシングでもまだまだ雑念モード。
正直、大きい鏡に向かってシャドーする自分の姿、ギャグ調すぎて滑稽で集中できん(爆)
上手い人はサマになっててカッコいいのだが、私はひたすら猫パンチやっとるだけやからな。。
これが約10分つづくのだから、集中より羞恥がまさってしまう。。w 頑張って練習してカッコよくなれよ自分!

サンドバッグあたりから、あ〜爽快感!ってなってきて、いい感じに疲れてくる。

そして最後にトレーナーによるミット打ち。
これがも〜大変、トレーナーの指示で動き続けるから、聴覚も視覚も全集中やし、
足も腕もプルプルなるし息もきれぎれで、も〜〜大変なのです。
3セット目に差し掛かる頃にはしんどすぎて、「ここで練習終了にしてもらおかな」と毎回思うw

ミット打ち終了後はポカリをがぶ飲みしてしばらく放心。
で!ある程度回復してきたとき、「ん?なんか気分がめっちゃスッキリしてる!!」って気づく。

スマホ脳」という本を以前読んだけど、要は「とにかく運動しろ」という内容だったと記憶してるけど(雑)、

ほんまにそうやわ、と。運動して気分スッキリして頭も活性化して健康になって美しくなるとか、最強やん。とにかく運動しろ、は正しいと思う。

やはり運動が、特に私の場合は、ボクシングが最強のソリューションだった。

ただ、月イチぐらいでしか通ってないので、翌日以降しばらくは筋肉痛に苦しむことになる…

今日、2日たってるのに体が痛いよ…うおーん(;ω;)
どこでもドアがあれば毎日通うのになー。それか超セレブになって毎日トレーナーに自宅出張レッスンしてもらうか(爆)

…こんな妄想しているうちに雑念がまた増殖していくのだった…_| ̄|○

毎日エガちゃん

今冬、1日の終盤はエガちゃんスタイルで迎えていた。

入浴前の脱衣で一番最後まで身につけているのが黒タイツであるため、準備OKのワンステップ前の様相がエガちゃん(江頭2:50)なのだ。

浴室の姿見に映るタイツ一丁の自分を見て「あぁ今日もエガちゃんやな」と飽きもせず毎晩ひとりごちていた( ̄ー ̄ )

入浴前、みんなどんな順番で脱衣しているのだろう。誰かと銭湯とか行っても気に留めたことなかったな。 タイツを最後に脱ぐのが、保温効果としてはベストな気がするけれども。
エガちゃんを意識してタイツを最後にしたりしなかったりしている淑女は一体どのぐらい世の中にいるんだろう

誰かと一緒にいるとき、喫茶店の窓際席でぼんやり人の往来を眺めているとき。

真面目な顔で「この人も毎晩エガちゃんなんかな」と妄想しているのは私だ。

この短い文章で何回エガエガ言っとんねん。。w

昨日もエガちゃんとこんばんはしたけど、 そろそろエガ収めかもしれない。いよいよ初夏っぽくなってきてタイツだとあつい。エガさんまた次の冬に会いましょうー

どうしよう…前方の人と歩く速さが同じ(爆)

何か自ら変化を起こさねばならない…!と日常の中でプチ焦る瞬間。

複数人で喋っている時に突如スンッ・・・っていう沈黙が訪れた時
とか
同じフロアだけど全然話したことない(お互い顔は知ってる)社員さんとエレベータ一緒になった時(で相手がこちらを意識しつつクローズドな雰囲気が伝わってきた時)
そして、表題の
前方の人と歩く速さが同じ時。。w (お互い1人で歩いている。通勤中や移動中とか)

距離があれば気にならんのやが、2mぐらい前方を歩いている人と、しばらくほぼ同じペースで歩いてたら気になる。

お互い割とハイペースでサッサカ1人で歩いてる時、気になるな。たくさんの人が大体同じぐらいの歩調でゆったり歩いてたりするとそこまで気にならん。

え、一抹の気まずさ、居心地の悪さを感じてるのって私だけか?笑
相手の人は気にしてないんか!?

相手とさりげなく同じ仕草を取ることで心理的距離を縮めようとする姑息なコミュニケーションテクニック(爆)を 「ミラーリング」というらしいけど、 ただ前方を歩いているだけの人と奇しくもミラーリング状態になることで、その効果を実感した。 うん、なんか心理的に働きかけるもんがあるぞ…!ww

とにかく微妙に落ち着かんので、そんな時にとる対応は:

  1. 通路(道路)に十分な道幅があれば一時的にスピードアップし追い抜き、十分な距離を稼いだらペースを元に戻す

  2. ペースダウンし、相手の背中が十分に遠くなるのを待つ

ということになる。

何でしょう、たまたま歩く速さが同じになる、あの時の気持ち。。

別にめっちゃ嫌!とかじゃないけど、なんかよくわからん一体感が生まれた気がしてそこから抜け出したくなる。w

かつて夫は「ミラーリング」という姑息なコミュテクを合コンやデートで使っていたなどと言っていて(爆) うわwほんまにそういうことやる人おるんやなwww
と草生やしておりましたが、なにがしかの効果はあるようです。

なんの話や。。

何事も(?)小手先のテクもバカにできんな〜と学んだのだった_φ( ̄ー ̄ )